手塩にかけた商品の発売を辞めるという意思決定 感動企業通信1541号

松下幸之助の義弟である
井植歳男氏によって
1947年に作られたのが三洋電機です。

この三洋電機は洗濯機を
大ヒットさせて世に広まりましたが
そこには大きな苦労がありました。

井植氏は洗濯機の開発にあたり
デパートから国産・輸入品の
電気洗濯機を買い集め
毎日、社長室の絨毯を水浸しにして
研究と実験を重ねていました。

開発に数千万円もの投資をして
工場の生産体制も整えたものの
発売を間近にして
一旦発売をとりやめ
商品を再開発することになりました。

当時は日本の洗濯機は
攪拌式というものしかなく
それが当たり前で
三洋電機も攪拌式を開発しましたが
他社と比べて優位性も乏しく

井植氏は発売直前で幹部に
「あの洗濯機、つくらないかんやろうか。
 素直にいうてみい」と問いました。

幹部は社長の不眠不休で
試作品発表にまでこぎ着けた
苦労を知りながら
思った印象をズケズケと述べると、

井植氏
「お前もそう思うか。
 よし、やめや。
 やり直しや。
 新しい型のを手がけてみよう」

その後、従来の攪拌式ではなく
新しい噴流式の洗濯機開発を始め
従来の攪拌式の価格5~6万円の半値
2.8万円という安さで
日本初の噴流式洗濯機を発売し
大ヒットに繋がりました。

自分が手塩にかけて育て
数千万円を投じて発売間近に
なった製品の発売を辞めるというのは
心苦しいものだったに違いありませんが
それが会社を成長させる重要な
意思決定となったのですね。

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